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【28th】オリンピックから学ぶ:1.2億人の受け皿として機能したお祭り?

石井亮です!

本日も、Note投稿からピックアップ!

 

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オリンピック、あっという間に閉幕しましたね!今回は日本もメダルラッシュでしたが、皆さんはどのスポーツが一番印象に残っていますか?

ということで、本日はオリンピックについてこんな感じで!

●開催は、勇気のある決断
●手のひら返し、トレンド入り!
●国民の「祭事」への想いを凝縮した?
●オリンピックは、受け皿だった

 

日本は、なんと、歴代最多で金27個、銀14個、銅17個の合計58個!
開催国は有利ともいわれますが、見事に過去最多を大幅にぶちぬき、選手の方々はじめ大尊敬です!スゴイですね!!

やっぱり一生懸命にひたむきに頑張ってこられた方々が報われる瞬間というのは感動がありますね(≧▽≦)

開催は、勇気のある決断

さて、本題!

そもそもですが、開催はとても勇気のいる決断です。

仮に、まだオリンピック開催決定前で、みなさんがいま政府の人間だったとして、どちらを選ぶ方が「正しい」と言えるのでしょうか。

僕にはわかりません。

開催しなければ、世界各国の選手や政府からなんといわれるでしょうか。いつまでも開催に踏み切れない国として烙印を押されるでしょうか。開催前はワクチン接種の件でいろいろと叩かれていたのも事実です。

ただし、実際、今回開催後、海外メディアからは多くの賞賛の声が届いています。このご時世のなかで延期として進めた末、決断を踏み切った日本政府のことを「偉業」や「たたえられるべき」などといったメッセージも多いです。

選手の中には、ひょっとしたらあと1年延期されたらもう出場は厳しいと思っていた方もいるかしれません。選手たちのここまでの努力をどのような形で報いるのか。色々とお金かけてつくってきたものはどうするのか。開催しない場合、日本国内からもバッシングを受けるのは間違いないでしょう。それは経済的な側面でも、政治的な意味でも。

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では、逆に開催と踏み切ればいいのか、といえば、それもまた難しいです

選手村はじめ、感染はどうやって死守するのか。無観客で盛り上がるのか、反対はないのか。莫大なお金はどこから集めるのか。

一番大事な点は、どんな理由をつければ全員から納得をいただけるのか。学校行事や好きなイベント、お祭り、飲食店など、場合によっては生計にも影響があるなか、多くの方が「自粛」「制限」を守っているがために大変な日々を送っています

そんなご時世で、どうしてオリンピックだけ特別扱いなのか。
そう聞かれたら、なんと答えるでしょうか?

なかなか簡単に答えることはできないと思います。

医療の立場、選手の立場、経済の立場、外交の立場、家族の立場。
多くの観点によって、賛成反対は複雑に絡み合います。

そもそも、そんな状況であったところ「開催」という意思決定をしたことには、ただならぬ勇気が必要だったと言えます。

僕は思います。
そんな中、無観客でも開催へ踏み切って無事に終了した今回の「決断」に対して、まずは賞賛していいのではないか。

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手のひら返し、トレンド入り!

今回のオリンピック、開幕式から多くのメディアが取り上げていますが「手のひら返し」がすごいですね笑
※ネット上では一時「手のひら返し」がトレンド入りしたようですw

開幕前は「中止にすべきだ!」「死人が増えるぞ!」と訴えていた方々も、いざ始まると「メダル最高!」「〇〇選手いいぞ!」といった感じで意気揚々としている。

そんな記事や声が多いですし、
皆さんの周りにもいたりするのではないでしょうか。

この「手のひら返し」は、個人にとどまらず、
メディアや媒体も同じですよね。
なんだか恥ずかしい国ですよね。。。

どんな物事も、支持する人がいればそれに対するアンチが存在しますが、あまりの露骨な寝返りに、ちょっとびっくりでしたねw

アンチはアンチで、その信念を貫き通してほしいものですね^o^

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国民の「祭事」への想いを凝縮した?

東京オリンピックは64年から2回目ですね。

このコロナ禍での開催となったことは残念ですが、無事に開催できたことは良かったなと思っています。
※このままずるずる延期しても日本の経済や消費行動に悪しき影響を及ぼす可能性が高いですしね...

64年は、まだ高度成長期前で、これから日本が盛り上がる時ですね。
西欧の価値観が浸透し始め、オリンピックでより世界へ踏み出したという年代でしょうか。

今回は、このご時世の開催となりましたが、
前述のことと重ね、僕にはある意味
「お祭り」「フェス」「イベント」
だったように思えます。

約1年半の間、この状況が続き、
外でのイベントは大きく制限されてきました。

その中、無事に開催された、
ようやく訪れた「祭典」として、
日本国民は熱狂した。

こう考えると、「手のひら返し」があったこともなんだか分からないでもない気がするんですね。

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オリンピックは、受け皿だった

(テレビ越しであっても)その場の「臨場感」や「人間性」を感じ取ることで、一緒に盛り上がる。
これは、実は往々にしてあることのように思えます。

好きなアーティストのライブも同じではないでしょうか。
ライブのことを知人から聞いたり、値段やチケットだけ眺めていても、本当の価値は分からず、いざ行ってみることで「感じる」ことがある。

オリンピックも開催前は、リスクに目を向けていた方々も、いざ始まるとお祭り要素に目を向ける。
それは日本国民に溶け込んだ文化なのかもしれません。

そして、なにより興味深い点は、結局始まれば多くの方が夢中になったのも事実。ということは、ある意味、多くの「祭事への想い」をこのオリンピックが代わりに受け入れた、とも受け取れるかもしれません。

「体育祭がないのに開催なんてありえない~」
と思っていた高校生も、オリンピックを見て、むしろ
「体育祭の代わりに、みんなでオリンピックみて盛り上がろう!」
となったかもしれません。

「わしの飲食店閉じてるっていうのに、五輪なんか開催しやがって!」
と思っていた飲食店経営者も、オリンピックを見ているうちに、
「1年間の延期でこんなに辛い中、メダルまで頑張っている選手がいるのか。おれも頑張ろう」
となったかもしれません。

ある意味で、オリンピックは多くの方の「受け皿」になったのではないか。
ふと、そうも思える自分がいます。

いや、そう思いたいんですよね。

 

それでは今日はここで♪

 

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